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段ボール14箱

 昨日、注文した素材が届いた。
段ボール箱14コ。中には麻縄が入っている。
ざっと計算して200kg。。。もちろん全部使うわけで
はないけれど、でも、作品の重さ100kgは超えるかも
しれない。

ACACの空間をみつめながら考えた作品は、どうやら
これくらいの重量になるらしい。
ほんとに大丈夫だろうか????

今日は届いた素材で早速作品づくりにとりかかる。
今回はかぎ針編みの技法で作品をつくる。
全体像を把握して、最低限必要な図案を製図し、あとは
作りながら考える。
かぎ針編みでの製図ははじめてだけど、サンプルをつく
りながら、基本はわかったので、それで製図してみる。
織物の製図とかぎ針編みの製図は共通しているところが
あるように思う。

できあがりが大きくなる予定なので、目数をまちがわな
いように、印をつけながら作業をする。
織物の作品のときは、細い糸で経糸はだいたい1100本く
らいで40数cmだけど、今回の作品は、350目で8m以上
になる。かなり太い糸、、、ではなく縄。
素材や、作品のサイズが大きくなると動きもいつもより大
きくなる。いつもだと肩が張ってくるのだけど、今回は腕
全体をつかうので、肩+背筋が張ってくる。

ACACのお風呂はかなりでかい。
浴槽にお湯をためるのにためらうけれど、、、やはりこの
張りをほぐすにはお風呂しかないので、お風呂をためて一
息つく。


やまのは、やまぎは

 

ACAC制作室から
台風の次の日
台風の次の日の空はとてもどらまちっくな表情になる

試行錯誤

 試行錯誤
この言葉がぴったりな数日間を過ごしている。
来てからもう3週間が経とうとしている。
とにかく手をうごかしてみたり、サンプルをつくったり、悪あ
がきと言えるようなことを続けている。
気持ちが焦るけれど、ここで焦ったらあかん。
と自分に言い聞かせて、大丈夫。なんとかなる。なんとかする!
そういう気持ちだ。
作品を展示するギャラリーに足を運んでは、んーーーと悩む。
とにかく空間が広い。
以前、レジデンスプログラムに参加したことのある、友人の作家
さんたちにいろいろ話はきいていたけれど、みなさん言うのは、
「空間が広い。」どんな作品にするのか、想像すればするほど、
この空間の広さが圧倒してくる。
そして、空間は扇状にカーブしている。
想像を刺激してくる建物だ。
おそるべしアンドウタダオさま。

そして何よりも、この空間の広さだけではなく、この建物を囲む
壮大な自然。この中でアートはいったいどう存在できるのだろう
か。この大きな自然にのみこまれないように、私もやっぱりしっ
かりと足を地につけて、ふんばって、作品をつくりたい。

昨日、今日なんとか作品のアイディアがまとまってきた。
オープニングまであと1ヶ月。
これからいろいろ決めて作業をすすめていかないと。

今回のアイディアは、青森に来る前に準備していたものと大きく変
わった。変えたいという思いもあったから、思いきってやってみよ
うと思う。どうなるか。
こんなスケールの大きな作品は今までつくったことがない。
でも、なんとかやってみたいと思う。

ACACのキュレターのみまさまは、アーティストたちの制作を見守
っている。急かす様子は一切ない。
これまでにいろいろアーティストと出会ってきているからだろうか。
経験値からそうしているのか、それともそういうスタンスなのだろ
うか。とにかくありがたい。
しかし、もうそろそろ具体的な相談をすすめなくては。
かなり無謀な相談もあるかもしれませんが、どうぞよろしくお願い
します。

今日も近くのかっぱの湯へ行く。
温泉としては薄め?なのかもしれないけれど、入った後は、やっぱ
り体が楽だ。センターからとても近いのでこれからもちょくちょく
行こうと思う。

みんな来てくれんの?

 メールボックスを開けたら、何通もメールが届いていた
大学の頃からの友人たちからのメールだ。
ひょっとしたら、青森へ来てくれるかもしれないという!
来てくれたらめっちゃうれしいな
あそこも、ここも一緒に行きたい。
そしてなによりACACのこの空間もあじわってほしい。
まだどうなるのかは決まっていないけど、とてもうれしくて、
テンションがあがった
明日からもがんばるぞ〜

3度目の県立郷土館

 3度目の県立郷土館へ

1度目は、展示を見に。
2度目は、どんな収蔵品があるのか、見せてもらいに。
そして、今回、3度目は、気になる収蔵品を見せてもらい、
写真を撮影。

青森県立郷土館には、生活の日用品や、信仰で使われるモノ、
いろんなものが展示してある。
そのような展示をみていた先にあったのが、戦時中、戦後の
展示物だった。歴史をおっていけば、確かにあって当然だと
思う。それが並列にならんでいたときに、なるほど。とふと
納得するものがあった。

今回、青森で制作する予定の作品は、1940年代のことがテ
ーマになっている。カナダと日本、カコとゲンザイをつなげ
るような、そんな作品にしたいと思っている。

作品についていろいろ考える中、あたりまえのことなのだけ
ど、その時代だけを切り抜いてはだめなんだと、あらためて
思った。つながっているのだ。
その前も、後もずっと。

1度目に訪れたとき、郷土館の1階に貼ってある、開催中の
展覧会のポスターをチェックしていると、その次の日までの
会期で、「語り伝えたい、戦中、戦後の暮らし」という展示
が、近くの市民美術館で開催されているのが目にとまった。
そして次の日にそれを見に行った。

戦時中に使われていたモノを見ると、派手なものは、ほとん
どない。展示物はそうだけど、きっといろんなものを着てい
たのではないだろか。戦争柄の着物を見たときには、結構派
手なものもあった。なんとなく自分の中で、展示されている
戦時中のものと、きっと他にもあったんじゃないかと思うも
のとが結びつかない。

2度目に郷土館に行ったときにちょっとそれについても質問
してみたけれど、郷土館の中では、「歴史」「民俗」などの
部署にわかれて研究されているために、そこのつながりがど
うやら別に研究されているようだ。

こぎんの収集や保存がはじめられたのが、大正、昭和初期頃
らしいので、それを考えると、、、

終戦前後は、やはり展示にあるような、地味な色めのもの、
そして物資も不足していたとのことだから、いろいろなもの
を代用したりして、大切に使っていたのだろう、、、

3度目の訪問では、いくつかのモノを手にとって、写真を撮
らせていただいた。

「非常袋」と書かれたリュックにある、ほつれに強度をもた
せる為に、繕われた糸に、生々しさが感じられた。

「防空頭巾」は2つあって、2つともよく見ると構造が全く
違う。これは手作りのものなんじゃないかと思う。
中には沢山綿が詰まってあって、火の粉や、落下物から身を
守るための実用性や、それから身を守りたいという思いが伝
わってくる。

「防空頭巾」を見ているときに、学芸員さんが一つの冊子を
見せてくれた。それは、戦時中に使われていたいろんなモノ
が掲載された冊子で、「防空頭巾」も掲載されていたけれど、
そこにある防空頭巾は、中に綿ははいっておらず、布一枚だ
った。どうやら量産されたものらしい。

「日常性」ってなんなのだろうかと、ぐるぐる考えているこの頃。

ほつれを繕った糸痕、防空頭巾の縫製に生活の跡が見える。








こぎん

 こぎんを見せてもらいに弘前まで。

私が青森にくることになって、それを報告しなきゃ。と
思ったのが、Aちゃんだった。Aちゃんは大学生のとき
からの友人で、私の織の師匠であり、どんな話でも聞い
てくれる友人だ。
青森はそんなAちゃんの故郷。
青森に来て、まだ1週間ちょっとしかたっていないけど、
Aちゃんのいい意味での、自由さや奔放さ、そして地に
足がついている感じがなんとなくわかった気がした。

そんなAちゃんの親戚のお宅では古い「こぎん」をもっ
てらっしゃるとのことで、それを見せていただきに、弘
前まで。青森市から弘前までは、車で1時間半くらい。
山道をとおりぬけて、岩木山をながめながらドライブ。

Aちゃんとのまちあわせ場所は、「ニトリ」ちょっとわら
けたけど、なんか地元なかんじでいい待ち合わせ場所
。お互いに車だったので、駐車場ひろいしね。しかも見つ
けやすい。

到着したご親戚のお宅は、外装は昔のままで、茅葺き屋根
だった。立派な茅葺きの屋根で、雪がふったらきれいなん
だろうな。

玄関に入ると、左手に「ケラ」(雨がっぱ)がいくつもか
かってある。青森のケラの特徴は、襟元にとてもモダンな
模様が編まれている。レジデンスで一緒にすごしているU
Kから来たアーティストは、この「ケラ」を郷土館で見て、
とてもきれいと話をしていた。私が雨がっぱだといったら
信じられないといった様子だった。

その素朴で美しいケラが玄関にかざってあり、部屋のなか
も、おもわずキョロキョロしてしまうくらいいろんなもの
があった。とくに日常でつかう工芸品。
親戚の方がだしてくださったお茶のお茶碗も、普段は、き
っと美術館でしか見られないモノで、あたりまえのことか
もしれないけど、美術館で見るよりも、数倍いいと思った。
いくら展示にこってあったとしても、生活の空間の中で、
しかもその器が使われている空間で、見るとそのよさがし
みじみと伝わってくる。っていうか、Aちゃんの家にも、
普通にいっぱいそういうものがあって、かなり驚いた。
民芸運動にに携わっていらした方のあの厚みのある陶器を
美術館で見るときに感じる重々しさはなく、生活空間にな
じんでいた。あの厚みは、日常で繰り返し使う為にあの厚
みなのか。と感じた。

見せていただいたこぎんは、ほんとうにすばらしいものばか
りだった。藍で染めた麻の布に綿の白い糸で一針一針刺して
ある。その綿の白糸にふっくらとした厚みがある。

以前は、絹の華やかな布に惹かれたけど、トロントのテキス
タイルミュジアムで、アジアの布を沢山見せてもらって以来、
綿と麻の布に、興味がわいている。

江戸時代、弘前藩では、農民の贅沢な暮らしを禁止し、さま
ざまな規則があったらしい。その一つに衣服の統制もあり、
こぎんざしは、そんな贅沢さを禁止された生活の中から、生
み出されたものだ。
当時木綿はとても価値の高いもので、肌着や帯だけに使うこ
とができ衣服には、地元の麻を使わなければならなかった。
麻は保温性は低い、寒さの厳しい土地で、少しでも生地を丈
夫に、布に厚みをつけて温かくしたい。そんな思いで麻を縫
いあわせていた、それれが後に綿の糸に代わって、装飾性も
加わり、現在見られる「こぎん」となった。

しかし、あんな複雑なパターンをよく刺せるものだと、感心
する。模様にはそれぞれ名前があって、いくつかの模様を組
み合わせて、全体のパターンが構成されていたり、一つのパ
ターンを繰り返し刺しているのもある。
この模様の一つ一つの名前がかわいい。印象的なのが、「猫
の足」で確かに、猫の肉球のふくっくらとした感じがある。
Aちゃんと親戚の方との会話の中で、こういう名前も生活の
中にあるものから、付けられたんだろうねと、話ていた。

弘前からの帰り道、もう外は真っ暗、満月の夜だった。

参考資料:「津軽学入門」より






川倉賽の河原地蔵尊

ACACのプログラムに参加している他の作家の人たちと共に、
今日は五所川原にある川倉賽の河原地蔵へ

この場所について知っていたことは、地蔵様が沢山安置されてい
ること、水子の供養もしていること、なくなられた方が着ていた
衣服も一諸に安置されていることくらいだった。
衣服の形態を作品にとりいれている私にとって、ここは行ってお
くべき場所だと思い向かった。

ここにいらっしゃる地蔵さまは、着物を着て、袈裟をかけ、頭巾を
かぶている。それぞれのお地蔵さまのお顔の表情がちがうように、
着ている着物もまったくそれぞれ違う。
地蔵さまが安置されているお堂には、亡くなられた方がきていた衣
類やはきものも沢山安置されている。
お地蔵さまも、衣類も二つといって同じモノはない。
衣類やはきものも特別豪華なものでもないのだけれど、きっと世の
中には、同じモノもでているのだろうだけれど、ここには確実に唯
一の存在があった。

一つ一つの「生」の重さが重なって、聖地となっている場所。
その重さは、引力を持っているようだった。
そしてこの聖地には、人が生活する中で染みつく匂いがあった。
生活の中に、生と死があるように、喜び悲しみ、弔い、祈りがある。

人が生きていくために必要な聖地と祈り。
信仰心が人の生の支えになっている。
その信仰心を支える一つとして芸術が存在していると、お地蔵さま
や、お堂の装飾、菩薩像を見て思った。

私は、白く薄いオーガンジという生地を使って作品をつくっている。
これらの作品について、ある方に「うすっぺらい」というようなこ
とを言われた。私には私の考えがあり、その
生地を使っていたのだ
けれど、その先生がそう言った言葉の意味が今回の賽の河原地蔵の
お参りで
少し分かった気がした。
オーガンジのもつ軽涼さを見せるだけでは、存在を現すには軽すぎ
る。もしそ
こに可能性があるとするならば、軽涼さの不自然さを逆
説的につか
うくらいでないとだめなのかもしれない。





資料をいろいろみたけれど、、、

 先日、郷土資料館にいったときに、気になったモノがあったので、
それを検索しようと思って、検索システムがあるのかどうか、資料
館に問い合わせしたところ、検索システムなないとのこと。いけば
見せてくれるとのことで、早速今日、見せてもらう予定だったのだ
けど、さすがに昨日の今日じゃ、無理だったらしく、金曜日に予定
が変更になりました。
はやる気持ちをおさえて、金曜日をこころまちに。
でも、こんなにスムーズに見せてもらえるなんて、ほんとにありが
たい。
資料館の学芸員の方もお忙しいでしょうに。
ありがとうございます。

ということで、今日は一日、ACACで時間を過ごす。
ACACに閲覧用においてある資料をいろいろみて見る。

何かを大きく変える必要があるのだろうか、、、
もしくは、このまま進んでもいいのだろうか、、、
悩む。

「語り伝えたい・・・」

今日は、青森市民美術展示館へ行く。
昨日、郷土資料館できになるポスターをみつけたので、
その展示を見に。「語り伝えたい 戦中・戦後の暮らし」
主催は、昭和館。昭和館は、戦中・戦後の国民生活の苦
労を後世代に伝える国立の施設らしい。
展示品は
日用品、衣類や、当時家族とやりとりしていた手紙などが
展示してある。日常生活に焦点をあてることで、戦争中の
日々の苦労や、身近な人を戦地に送り出さなければならな
い辛さが伝わってくる。

会場で受け付けをしていた方と話をする。
この方は青森の方で、ボランティアで受け付けを手伝って
いるそうだ。初めは、自分が何をするのかもわからないく
らい展示の内容について知らないらしかったけれど、昭和
館の関係者が、丁寧に展示をする様子を見たり、展示品を
見て関わるうちに、知ってよかった。と、特に傷痍軍人の
方々について知ったことは、幼少の頃の記憶と重なり、大
人になってその苦労がわかるとおっしゃっていた。この話
を聞いていて、岡真理さんが書かれた「物語/記憶」とい
う本のことを思い出す。ただ少し質問をした私に丁寧に答
えてくださったのは、きっとそんな思いからきていたに違
いないと思う。

しかし、この展示を見ていて気になるのは、戦争中の日本
に居るはずの存在について触れられていないことである。
「国民生活」とわざわざ「国民」と限っているところにナ
ショナルな匂いがする。これは日本にかぎったことではな
く国立の施設ではよくある展示の仕方である。
一方向的見方は、何かをないものにしてしまうし、見る方
は気がつく隙も与えられない。
ナショナルな匂いなしに、このような経験が伝えられるこ
とはないのだろうか。
ナショナルを通して語ることに、違和感をおぼえる。
なぜなら、この語るにもつらい経験は、ナショナルなもの
によって強いられたものだから。


三日目

ACACの周辺を歩いていると、ふと一つの詩を思い出した。
うるおぼえだったのだけど、検索してみたらみつかった。
風が吹くと、木が鳴いている。






姜恩喬(カン・ウンギョ)茨木のり子訳

一本の木が揺れる
一本の木が揺れると
二本めの木も揺れる
二本めの木が揺れると
三本めの木も揺れる

このように このように

ひとつの木の夢は
ふたつめの木の夢
ふたつめの木の夢は
みっつめの木の夢

一本の木がかぶりを振る
横で
二本めの木もかぶりを振る
横で
三本めの木もかぶりを振る

誰もいない
誰もいないのに
木々たちは揺れて
かぶりを振る

このように このように

いっしょに
 

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