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THE BIG ISSUE-インタビュー

THE BIG ISSUEー
駅の近く、階段上がったところや、道などで、手に持ち販売されている雑誌。
気になりながらも購入したことがなかったけれど、1週間くらい前に大阪駅で購入。
とても読み応えのある記事ばかり。軽くて薄いというのがうれしい。
鞄に入れて持ち歩けて電車の中で読める。

そのBIG ISSUEの編集者さんから取材依頼を頂いたのが、かれこれ数週間前。
昨日、その取材日で事務所まで行ってきた。
ライターさんはお友達の知り合いだということが判明。ほんとに世の中狭い。
私の作品についても親近感をもって関心を抱いてくださっていたので、緊張もほぐれて、話がしやすかった。
取材時間は1時間くらい。
取材依頼のメールを頂いたときには、どんな話について聞きたいのかということを聞いていたにもかかわらず、うまく話できたかどうかは。。。
1ページなので、そんなに長い記事ではないけれど、いつものように答えのないような、とりとめのない話し方をしてしまったので、短い記事とはいえどもライターさんは大変だろうな。

記事は、1月に販売される号に掲載予定らしい。
さて、どんな記事になるのか楽しみです!

掲載号が決まったらお知らせするので、ぜひ販売者さんから購入してください。

*ビッグイシューは1991年にロンドンで生まれ、日本では2003年9月に創刊されました。ホームレスの人の救済(チャリティ)ではなく、仕事を提供し自立を応援する事業です。
1冊300円の雑誌は、ホームレスの方によって販売され、そのうち160円が販売者の収入になります。(THE BIG ISSUE サイトより。)

昨日、インタビューに行って頂いた最新号↓

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腰機のための袋

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腰機をいれるための袋を縫いました。
花柄の生地は友だちのマレーシアからのおみやげ。
何年前にもらったんやったかな〜。
かわいらしいプリントなので、何かに使いたいと思っていたら、これ!
サイズもぴったり。

エル・アナツイ展−@民族学博物館

「あ、NYで観た作品かも。」
ある展覧会のチラシを手渡されたとき、ふとその時の記憶がよみがえった。
家に帰ってから調べてみると、やはりそうだった。NYで観た作品と同じ作家の作品であった。
エル・アナツイの作品をはじめて見たのは、NYの美術館だった。NY滞在中、沢山の作品を観た中で、(作家の名前は覚えてはいなかったけれど、)その作品ははっきりと覚えていた。
その作品を遠くから観たとき、布のようだけど、何か違う。近寄ってみたら、アルミをつぶしたパーツがつなげられて作られた作品だった。
布のように見えたのは、その作品が、チープなアルミをつぶしたパーツでつなげられていながらも、布がもつ独特の表情、布自体の重さがつくる独特のドレープを形作っていたからだ。



「エル・アナツイのアフリカ−アートと文化をめぐる旅」と題された展覧会が、万博公園内の国立民族学博物館で開催されている。

展覧会の感想は、一言で言うと、「見に行ってよかった。」と思った展覧会だった。
作品については、あれこれ言わないけれど、やはり「布」「織物」にたずさわっているので、エル・アナツイの作品解説は、どうしても気になってしまう。

エル・アナツイのこのアルミのパーツ(お酒の瓶のふた)を銅線でつないだ作品は、「織物」と表現されている。
私は、この「織物」と表現されていることにひっかかりを感じていた。
なぜなら、構造的にはいわゆる織物ではないからである。
これは、織物と表現するより、パッチワークと表現する方が適切だと思っていた。
しかし、作品や、制作の背景を知る内に、これは「 」つきの「織物」だ。と感じるようになった。

エル・アナツイの父は、アフリカのケンテクロスという布を織る仕事をしていたそうだ。このケンテクロスは、ガーナの伝統的な織物で、テープというには幅が広く、布というには、ものたりないような幅狭の布で、その布を何枚も縫い合わせて大きな一枚の布に仕上げたものである。とても手が込んでいて、王様の衣服に使われる特別な布だそうだ。

ケンテクロス↓


このケンテクロスをみて、エル・アナツイの作品をみると、やはり何かつながりを感じる。
ケンテクロスが、幅狭の布を縫いつないでつくられているように、エル・アナツイの作品も縫いつながれ、そして、その模様は、ストライプ模様の幅の狭い布が、縫い合わされることで、タイルをしきつめたような模様となっているのと似ている。


伝統的な織物のケンテクロスは、王様の身につける衣服として、守られ、そしてガーナの伝統的な織物となり、それを織る職人も宮廷直属の職人たちによって織られている。
一方で、エル・アナツイの作品は、瓶の蓋(廃材)をつかって、エル・アナツイの工房で、学生やちが、ただひたすらパーツをつくり、縫いつなげつくられている。そして、その作品は、アート作品として、美術館や博物館に展示されている。しかし、アート業界での、アフリカ美術の評価は、西欧のアーティストがつくる作品にくらべると決して正当に評価されているわけではないとも指摘されている。

エル・アナツイの作品は、ケンテクロスとのつながりがみえたとしても、「伝統的なもの受け継いで」そこによりかかるわけでもなく、また、美術業界がつくってきた価値を自明のこととして作品を成立させるのでもなく、美術作品として強くその存在感をもっているように感じる。

彼の作品は、その作品の存在感だけでも充分に人を引きつける魅力をもち、また、社会的背景や、民族学的な視点からも語られ、知るほどにその作品のもつおもしろさを感じる。

この展覧会のカタログには、日本語と英語の解説が掲載されているが、英語で書かれた論文には、エル・アナツイのこの作品を「woven cloth」と表現し、textileとは書いていない。また日本のある研究者は、「織った布」と表現し織物とは記していない。
そう、私はここで、「織った布」という表現にピンときた。
エルアナツイの作品の「woven cloth」は厳密に日本語で表現するなら、textile/織物ではなく、「織った布」なのだ。

構造として織物かどうか、なのではなく、「織物」として見えること。
つまり「知覚」の問題で、彼はやはり彫刻家なのだ。
布のドレープを小さなパーツをつなげた稜線によってカタチづくることで、「織物」をより顕在化させる。
これは重要なことに気付かせてもらった。

他にもいろいろ考え、感じることのあったいい展覧会だった。
図録は、美術批評家だけでなく、民族学的、歴史的、社会的な背景に触れられた、中身の充実したカタログであった。
このような包括的なものを感じさせる作品、うらやましいと思った。

「彫刻家エル・アナツイのアフリカ」
場所:国立民族学博物館
期間:2010/9/16-12/7

参考資料:「彫刻家エルアナツイのアフリカ」展覧会図録より

アルピジェラ−抵抗を縫う−チリのキルトにおける触覚の物語からー

アルピジェラ(Arepilleras):南米で作られているアップリケのタペストリー。もとはチリ沿岸部イスラ・ネグラ地域の伝統手芸です。1973年以降のピノチェトの軍事独裁政権下、貧しい女性たちがこのアルビジェラを用いて自分たちの日常生活を表現し、人権侵害に抵抗するネットワークをカタチづくってきました。(「抵抗を縫うーチリのキルトにおける触覚の物語」チラシより)

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2010/10/12-16の期間、大阪大学総合学術博物館で、「抵抗を縫うーチリのキルトにおける触覚の物語」展が開催されていた。
16日の最終日には、シンポジュームも行われ、その中で、この展覧会を世界各地で企画されているキュレーターの方と、チリの社会的背景に詳しい方、あとアートとアクティヴィズムについて研究されている方の発表があった。

かれこれ10年くらい前になるだろうか、私がアルバイトしていたギャラリーの奥に、1つのキルトが掛かっていた。縫い目が厳密にそろっているわけではなく、アップリケの布もカタチがそろっているわけでもない、手仕事感がそのまま現れたキルトであった。しかし、その親しみのある質感とは対称的に、そこに描かれているのは、物騒な武器をもった人や、女性の姿が縫い込まれていた。キルトの親しみをかんじさせるやわらかな質感と、そこに縫い込まれた暴力的なモチーフとのギャップは、とても印象的であった。
そのキルトは、ギャラリーの奥にある小さな事務所スペースの隅、壁の隙間に置かれた小さな冷蔵庫の上に、グラスやらポットやらとまぎれるようにかけられていた。それは、堂々と、その部屋を飾るような場所に掛けられるのではなく、冷蔵庫などが置かれた日常的な場所、隙間が、そのキルトの居場所であった。だからといって、その隙間に掛けられたキルトは、隅においやられたというのではなく、むしろ、その隙間にあることがそのキルトが掛けられるにふさわしい場所だと感じた。ただ、飾られるのではなく、冷蔵庫という小さな日常スペースで、お茶をいれるたびに目にはいってくるキルト。常に目にはいる場所に掛けてあることで、ギャラリーのオーナーが、そのキルトの精神性に共感していることを現しているようであった。「意識は日々の積み重ねでつくられていく。」そのキルトはその意識を確かめるものであったのかもしれない。

この展覧会で、この10年くらい前に見ていたキルトが「アルピジェラ」と呼ばれるものであることを知った。
今回、あらためて目にしたアルピジェラからは、チリの軍事政権下で、その弾圧のもと、旦那や恋人を亡くした女性たちの経験や、その暴力を表現しようとする意思が伝わってきた。
アルビジェラの展覧会は、世界各地で開催されている。

私は、このアルピジェラの発生に関心があった。どのようにして、これが生まれてきたのか。
女性たちが、日々抱える思いを託すために制作され、自然発生的に生まれ、それがひろまったのか、もしくは、誰かがリーダーとなり、アルピジェラの制作を支えてきたのか。
制作されたアルピジェラは販売され、それは制作した女性たちの収入になっているという。

正直なところ、このバランスはほんとにきわどいと感じた。
女性たちのトラウマ的な記憶、それをキルトに託すことでもたらされる治癒的な効果と、それを販売することで得られる収入。そして、その状況を訴えるメッセージ性。
しかし、一方で、彼女たちの経済的な状況をしらない私が言う筋合いはないのかもしれないけれど、収入の為に、その記憶をキルトに託し、語りずらい記憶をカタチにせざるを得ない女性もいるのかもしれない。

それは、ほんとうに難しい関係。

もう少し、制作者の女性たちの状況がわかる話を聞きたかった。
展示作品のガイドツアーがあったのにそれに参加しなかったことが悔やまれる。

アルビジェラはスペイン語で綴りは、「Arepilleras」である。
Wikipediaで検索してみると、「黄麻布」、エキサイトのスペイン語検索で調べると「粗布」と出てくる。黄麻というのは、ジュートのことである。
もう少し、アルピジェラという言葉が、どういうニュアンスを含んだ言葉なのか知りたい。

以前、カナダのテキスタイルミュージアムで見た「BATTLEGROUND-WAR RUGS FRO AFGHANISTAN」の展示のことを思いだした。
そのラグには、伝統的な技法を用いて、現在のアフガニスタンの街の様子を描いたものなどがあった。そこには、それまで、ラグに織込まれてきた鳥や、花のモチーフにかわって、高層ビル、近代的に整備された道路、そして、その道路を行き交う戦車や、上空を飛ぶヘリコプターや戦闘機が織込まれている。







この展示を見ただけでは、どのような背景で、どのような人が、どのような目的でこのラグを制作したのか、また購入者はどのような人たちなのか、までは、わからなかった。(私が見落としていたのだと思うけれど。)

発表の最後に、この展覧会を企画している方にあいさつをし、私もテキスタイルをつかって制作していることを伝えると、「あなたもアルピジェラを一枚つくったら。」といわれた。その言葉は、アルピジェラは、チリの女性たち、経験した当事者だけが制作するのではなく、「抵抗をあらわすキルト」として存在し、チリの女性だけがアルピジェラの制作者であるのではなく、その抵抗に共感する人すべてが、アルビジェラの制作者になれることをあらわしていた。
何かによって、「形成され守られるべき伝統文化」があるならば、その「何か」の枠をでて、作っていける文化もあるのかもしれない。
さまざまなことを考えた展示であった。

記録写真


photo by 福永一夫

今回の記録写真は、福永一夫さんに撮影していただいた。
今回の展示は4日間ということもあり、記録写真はすごく重要であったにもかかわらず、作品制作や、展覧会の準備で、写真家の方をあたれずにいた。そのときに、信頼する写真家の方に相談したら、福永一夫さんにあたってみたらどうかということで、知り合いの紹介で、撮影していただくことになった。
急な依頼だったにも関わらず、時間をつくって撮影に来て下さった。

仕上がった写真は、やはりどれもすばらしく、紹介してくださった方々、そして引き受けてくださった福永さんに感謝。

今まで、私は、自分のイメージした世界をそのまま再現するように、作品を制作していた。
あたりまえのことかもしれないけれど、でもそれではおもしろくないと思うようになってきた。そして、最近は、イメージした世界が、そのイメージを超えて何かが見えてくる瞬間を期待して、作品をつくるようになってきている。
ただのイメージの再現では、見る人にとっても、それを超えた世界(「超」イメージともいうべきか。)をそこに見ることができない。

作品の「超イメージ」が見えてくるには、やはり作品との対峙の時間も重要である。
今回の4日間で、多少のものは見えてきたが、やはり短すぎた。
だからこそ、記録写真が重要。
今回撮影していただいた写真から、つぎにつながるイメージをもらえた。
感謝します。

柘榴

ざくろ

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記憶の棲殻−パフォーマンス











photo by 山下一夫
dance: Yangjah
sound: 今西玲子

この写真は、Yangjahさんのdanceをいろいろなところで撮影していらっしゃる方に撮っていただいたもの。
いつもYangjahさんのdanceを撮られているだけあって、あの瞬間を思い出すような写真ばかり。
Yangjahさんの流れるような動きの瞬間をとらえるのは至難の業だと思う。
Yangjahさんと玲子さんの即興パフォーマンスはほんとうに素晴らしく、雲の上にいるかのような、そんな時間だった。


展覧会最終日

展覧会最終日


photo by 福永一夫


photo by 福永一夫


photo by 福永一夫


photo by Haji


photo by Haji

展覧会3日目

展覧会3日目
朝はいつもakkoちゃんがおいしいコーヒーをいれてくれる。
おいしいコーヒーを飲んで一日を迎えられるって幸せ。



今日はぜったタイラーメンの写真アップしたいとおもっていたら、知り合いの先生が来て下さって、注文してくれたので横から激写。



残り10食らしいので、なくなってしまう前に食べにきてください。

今日も沢山の方がきてくださいました。
遠くは名古屋から。
いつのまにか夫婦になっていたお友達。しかも赤子づれ。幸せそうで、そんな3人で、来て下さってとてもうれしい。おもわずハグしてしまった。

そして、高校の生徒さん、同僚の先生も来場。さらには、偶然前をとおりかかり、上がって来て下さった方も。

さて、今回の作品のタイトルは「記憶の棲殻」
今までの民族衣装の作品とは違うアプローチですが、反応も様々。
前のがよかったと思っていそうな感想や、今回のを新鮮に感じてよいと言ってくださってる方や。やはり見解はいろいろ。

今日も沢山の人から感想、意見、質問をいただいて、それに答えたり話しを聞いているうちに、次のことが見えてきた。これをするにはまた時間がかかりそうだけど、やってみる価値はかなりあるな。もうすこし考えてみよう。

展示をしたとき、次の展開が見えてきたら、それでやってよかったと思える。
そうじゃないと、「私、何したかったんやろう。。。」の問が、展示を終えてもぐるぐる頭の中にめぐることになる。

また明日、作品と対面することで見えてくることが浮かび上がることに期待。

今日の夜は、写真撮影があった。
制作にかかりきりで、撮影してくださる方を探せずにいたのだけれど、救うカミあり。
素敵な写真家の方にお願いすることができた。
急だったのに、ほんとうにありがたい。
写真の仕上がりが楽しみ。
こないだの青森で撮影してくださった写真家は山本糾さん。今回のDMに写真を使わせていただいているけれど、とても写真の評判がよく、私も気に入っている。
やっぱり写真って大切だと実感。
今回も期待しています!

夜のモダンテラスも素敵です。





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